やあ、僕は。

個人的なことをマイペースに。

誰も知らなくて、誰も見られないウェブサイトもどきの歴史なんて誰が読む?

2018年7月12日

忘れもしない日付です。その日、ローカルサーバー上で私のホームページが“開設”された。

テキストサイト風の超シンプルなデザインをわざわざ自作した上で繰り広げられる世界観は、「ローカルサーバー」とあるように自分ひとりしか見られない。それでも日々更新されたが、1ヶ月後には更新が滞るようになった。要は、飽きたということだ。

なぜ、わざわざ誰も見られないようなページを作り、それも廃れたテキストサイトをイメージしたページを作ったのか。

 

簡単に言えば、長年続くウェブサイトが夢だった。例え、更新はたまにでも残り続けたらそれでいい。そういう考えで、デザインも2000年代らしい軽量感をイメージしながらも、見やすさを重視したページ目指しました。

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自作テキストサイトのデザイン。グレーの枠はいわゆる引用欄だ。

*1

テキストサイトなので文章が多いのだけど、たまにはネタもやります。むやみにフォントサイズを大きくすることはせず、本当に些細な実験をやってました。

そこで何となく実験の様子を写した画像が出てくるのですが、それを一枚あたり30KB程度に圧縮してました。とことん2000年代をイメージしてのことなんですが、ただただパソコンの容量を節約しただけで、誰も見られないものに意味なんてほとんどありません。

 

1ヶ月後

老舗サイトというのは最初の数年くらいは頻繁に更新されるものですが、私の場合はすぐに更新量が落ちた。開設からたった1ヶ月で、です。

そこら辺にやりたいこととやる気が釣り合っていないというか、とても一過性じみてますね。しかし、最初から言ってますが誰も見られないものにデザインサンプルでもないのにやる気を出そうとすることが笑止千万。

 

でも理由は簡単です。自分には一からページを作ることができても、どこかにアップロードして、公開された状態で更新していく自信がなかった。だからこそ、実験場としてローカルサーバーにページを置き、わずかな間だけ自己満足に浸った。

こういうことをしばらくやっていると、原点に帰って趣味のためにローカルサーバーを活用するようになります。2019年7月現在、ローカルサーバーは趣味のメモなんかを置いて、ブラウザから見るために利用しています。

ただのメモ帳やTXTファイルじゃできないことが、ローカルサーバーならできる。デザイン的な意味でね。それだけで満足している私は、とうとうはてなブログでどこか苦手な文章書きを始めた。

 

誰も知らなくて、誰も見られないウェブサイトもどき(もとい、このブログの起源)の歴史でした。

*1:モザイクの意味は、早いとこ黒歴史。ローカルサーバーのページ自体は実験結果として有効かもしれないので良いけど、中身は完全に黒歴史だったりするし、黒歴史のための文章なのかもしれない

エンターテイメント、スキスキ人間の話

(多分、内容がタイトルに達しないけどエンターテイメントはスキスキ人間です)

エンターテイメントと言われても、具体的にどんなことか? なんて、限定されると説明しにくいだろう。イメージとしては大体わかっているのだが、答えにたどり着けない。エンターテイメントとは、それくらい幅広いものだから「エンターテイメント」だと思ったりする。

では、なぜエンターテイメントが好きなのかという話にしてみる。

よほどの変人でなければ、エンターテイメントが嫌いな人もいないだろう。私も例のごとく、感覚的には世間一般のつもりだからエンターテイメントスキスキ人間だ。

 

カテゴリとしての「エンターテイメント」

dic.nicovideo.jp

エンターテイメントという言葉を意識するようになったのは、ニコニコ動画の存在が大きい。なんだかんだでエンターテイメントにふさわしそうなコンテンツで溢れているからだ。

それと同時に、カテゴリに「エンターテイメント」があるからだ。

「エンターテイメント」はニコニコ動画ジャンルの一つでもある。アニメ・ゲーム以外の娯楽動画につけるタグにつけられるが、いまひとつ方向性がはっきりしない。

方向性がはっきりしないからこそ、タグ検索で並び替えを「再生数が多い順」に指定するとニコニコ動画上でも記録的な動画が数多く並ぶ。それでも、早い段階で恐ろしく興味のない動画が出てくるのは方向性云々の問題か。

エンターテイメントの定義が難しいから誰もが楽しむものではなく、誰かが悲しんだり悩んだりすることさえもエンターテイメントの一部に含まれることがある。

なぜ、そんな捉え方をされるのか。それっぽいからなんでしょうけど、一度定義されると流れが止まらなくなってしまう。人々の動きのうち、エンターテイメントっぽいのがエンターテイメント。それでいいかもしれない。

むしろそうでないと無理かもと、私は思う。

 

エンターテイメントの使い分け

例として「ネタ」という言葉をあげてみる。これは明確に区別できる。というか、エンターテイメントでもネタ要素があればエンターテイメントとネタが両立した形となる。ネタ要素がなければエンターテイメントだけ、となる。逆も然り。

万が一、エンターテイメントを「エンタメ」と略してしまったら、途端に芸能臭くなるのは私だけだろうか。芸能とエンタメなる略語を同じ場面で見た結果なのだろう。そういう印象を持ったところで、単に「エンターテイメント」が本来の意味らしく映るだけなのだが。

 

 

追記:エンターテイメントって「entertainment」なので本来は「エンターテインメント」らしい。ただし、「エンターテイメント」もアチコチで使われるカタカナ単語。意識しているところが「エンターテイメント」なのを考えれば、私のなかでは「エンターテインメント」は「エンターテイメント」と間違いなく変換される。

いまさら「君の膵臓をたべたい」

2017年に公開された映画「君の膵臓をたべたい」。公開前、予告編こそ見ていたが、ありふれた「よくあるパターン」というイメージを持つに過ぎず、そもそも当時は恋愛系、感動系映画に興味もなかったので映画館では見なかった。

以後も、いまに至るまで見る機会がなかったが、アマゾンプライムビデオで配信されているということで、いまさらながらさすがに鑑賞。

映像のこと

物語は時代で言えば現在と2003年の二つがある。主に2003年のパートで進行するが、最近の映画でありがちな「丁寧な映像」で全編にわたって展開される。特に恋愛映画なのでその傾向は強い。

ただし2003年の感じはほとんどしない。映像そのものでは区別がつかないからなのだが、携帯電話くらいしか当時の雰囲気が出てこない。例えば随所に出てくる通行人等のモブキャラなんかも当時の雰囲気がなく、10年以上の変化がまったくない現代人のよう。

はっきり言えば、当時の雰囲気などたいした問題ではない。2000年代が遠かろうと、映画の映像は新鮮に生きてしまっているしそこまでの感想を抱くことはないと思うが、いずれにせよ当時モノはその当時に作ってナンボ(最高)なのは否定できない。当時を振り返りながら2000年代をテーマとして、印象的に描くというのなら話は別だが。

物語のこと

一応、ネタバレなしにしたいので細かく触れませんが、アチコチで際立つ「伏線」には驚かなかった。何故かと言うと、去年に原作をざっと読んだからです。あやふやながら流れはすべて掴んでしまいましたから、良くも悪くも映画の評価が伏線のことで影響されることはありませんでした。

よって一から評価をすることができません。また、全体的に盛り上がる部分が薄く『学園恋愛映画の異端児』という感じで、美しい映像で展開されるストーリーをそこまで面白いと思えなかった。私には似合わないのでしょう。

登場人物はあまりいないですね。「君の膵臓をたべたい」のような作品によくあると思います。ただそれには理由があるらしいのです。早いとこ、そんな世界なんですね。

見て損はしない。間違いなく2017年の代表的な日本映画なので。

 

あとは一つだけ忘れていたところがあったくらい(ガム)。

www.youtube.com

見た目が生む好奇心

センセーショナルに「女」と書かれると、なんだか下品な匂いを感じてしまうことがある。日常会話、自称として「女」と言う分には何もないが、悪いことをしたなどという流れになると、どうもヤラシい。

そういうニュアンスだからなのだろうけど、それが「男」だと意図があろうとなかろうと関係なく、何もない。何も感じない。また、「女性」ならもう少し違った感想になるだろう。

ところで、なぜ女となるのか。悪いことをしたから、そんな丁寧な性別の呼ばれ方はされないよってことなんです。よくニュースで「〜歳の女を逮捕」とかありますけど、事の始まりはすべてニュースから。

ちょっと前に起きた某件でも、容疑者が好奇な扱いを受けてますね。また、その流れから加害者が「好奇な扱い」を受けた過去の事件を掘り起こす人もいます。

女性、好きで好きでしょうがないのでしょう。好奇な目の人は。「女好き」そのものが良からぬ方向に行かねば良いのですが、残念ながら男女の揉め事はよく聞きます。事件だって数知れず存在するのがいまの現状。変わることはないですが、事実、女性は好きでしょう。

よろしくないネット趣味黙示録的なこと

とある手段でいけないものを覗き込んでる気がする。と言っても、URLかアクセス方法でも記述すれば誰だって見られるインターネット上のページなので問題ないと思いますが。

何かと言いますと、2000年代初頭から現在にかけてのネットニュース記事がずら〜〜〜っとんでるページなんです。

結局なんか文句あるか、で済ませたいところですが、当時の世情がずらり、毎日の出来事がずらり。人の名前だっていくらでも書いてありますから、この頃から消えないものは消えないのですね。

忘れられたものが、そこで甦るんです。きっとこれ以外には広大なネットでも見つけられないことだってあると思うし。そんなものをそれこそほじくり返すは何の意味もありませんが、そういう趣味。ネットに残された映像、記録等から覗き見て何かを感じ、知りたいものを調べ、表を知るだけの趣味。

 

見たことのない世代と時代の見方

人は気づかないうちに歳をとる。

あの日、例えば10代前半だったのが、気づけば20代。気づけば30代。よく考えると、10代から30代までは10年以上の月日を要するはずだが……?

いま、例えば10代前半の人が30代になるまで、要する時間自体は同じだ。もちろん、上記の「あの日」と同じ時間を生きているわけではないし、ちいさくても世代という壁がある。すなわち、一緒くたにはできないのである。

それでも未来は誰にも予言できない。自分が10代から30代になるまでの間が一生という人もいる。それは、自分より前に生まれた人からすれば、明日同じ立場になる人もいる。一方で、自分より前に生まれたがいまの自分より早く生涯を終えてしまえば、いかにもアンバランスだ。

要は、同じ世代で自分より短い人生とは何なのか。なぜそうなったのか。歳を取るうち、同じ世代で自分より短い人生の人が知ることのなかった時代がやってくるのでは?

それは、上記に照らし合わせれば2000年代からいまに向けてのことだと思う。